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ヴェイダー卿がFOを率いていたら理想

機敏で機動的な帝国は皇帝の目標だった。 帝国の肥大化は負担となり、国家運営、安全保障、体制維持、全てにおいて疲弊していたのだ。 反乱分子をもっと早いうちに叩ければ、後々あらゆる労力とコストが低下していたに違いない。 結局、皇帝の死により体制は崩壊する。独裁体制の限界だ。 ヴェイダー卿は皇帝に献身していたが、帝国の在り方に懸念を抱いていたと思われる。つまらない政治的束縛に縛られず、内部を横断して迅速な行動を認められる暗黒卿だったが、不十分であった。帝国の構造的欠陥、太り過ぎていて、力強いが鈍いのだ。 おそらく帝国が資源と労力、コストを無限に使える発想に端を発する。 何の制限も設けなかったせいで、不効率を招く温床になっていたのだ。 限りある資源を最小限に使う発想は帝国になかったのだ。 すなわち特殊作戦を主体にした非国家主体である。 そもそも反乱分子をもっと早いうちに叩ければ、後々あらゆる労力とコストが低下していた。その反省である。何より低コストだから、軽く機敏で機動的だ。 もしヴェイダー卿が生きていたら、率いさせたかった。スノークはヴェイダー卿を意識していた。ヴェイダーと同じように、カイロレンにやらせたかったのだ。 しかしカイロレンは力不足であり、ヴェイダーに匹敵しない。 ヴェイダーほどのフォース感応者でないのだ。 「お前はヴェイダーではない、マスクを被った子供よ」 特殊作戦をカイロレンにやらせて、あらゆるコストを低下させるスノークの構想は、思っていた程成功しなかった。 アナキンはクローン戦争で共和国軍を日々 指揮しており鍛えられていたが、ベンソロの場合、帝国崩壊後の平時である。 アナキンと違い、ベンソロは経験不足だったのだ。 いくら同じ血が流れていても、環境が左右する。 また、カイロレンはそもそも当たり前のように特殊作戦を体験していたが、特殊作戦の恩恵が分からなかった。当然だ、帝国を体験しなかったから。 帝国の不満、構造的欠陥を意識して初めて、ファーストオーダーの意味が理解できる。プライド元帥などの経験豊かな人材が当てはまる。 これはカイロレン以外の人員にも言える事で、若い人材を好むファーストオーダー特有の問題である。 いかに帝国が疲弊したか経験していなかったから、彼らは銀河全域への侵攻作戦のリスクを想定できなかった。 見方を変えれば、操りやすい人員の集まりなのである...

オビワン 第三話 批評(ネタバレ注意)



このエピソードも賛否両論ありますが、自分としては、正直残念です。ごめんなさい。

個人的にスターウォーズ作品を批判するのは好きじゃないんですが、正直ポジティブには捉えにくいです。大尋問官について予想が外れたからではありません。ビジュアル面で許せないんです。


マンダロリアンにしろボバフェットにしろ視聴者ファンの予想を盛大に覆し、想像できなかったストーリーで考えさせる手法は確かにいいと思います。

大尋問官のその後を曖昧にして、ストーリーの進捗を止めず、常に新しい展開にしています。

大抵の人は死ぬ筈のない大尋問官について疑問を抱いていましたが、制作側が真面目に答えていては、わざわざスターウォーズの新作を作る意味なんてない気がします。


ファンに寄り添うにしても、ファンの要望に一々答えていては、絶対駄作になります。

だから、予想を覆してくれて有難いです。

ヴェイダーが迫ってくる中でのレイアとオビワンを見るドキドキ感は感無量でした。


しかしビジュアル面では許せません。

ヴェイダーとオビワンが決闘するわけですが、オビワン配信開始前に誰もがぼんやり想像していた構図が明快に一気に映像化された印象です。「こんなもんか」

(オールドファンにしてみれば、満足かもしれない)

プリクエル作品の決闘シーンに慣れた者として、正直許せない。。

照明、セーバーの振り方、背景、違和感を感じました。

これがルーカスフィルムの本気でしょうか?そうとは思えない。

ルーカスフィルムは体力を温存している気がします。意図的にこうした気がします。


大抵の人が想像できる事は出し切った、次は我々が本当に伝えたいストーリーと脚本を展開して、ファンを誘おうという魂胆だと思います。残り三話、時間はあります。

残り三話、絶対に本気で労力を注いでくれた筈なので、期待します。

レイアとヴェイダーは対峙するのか?ヴェイダーはフォースでレイアを探るのか?その時レイアは何を言うのか?   大尋問官は復活するのか?  オビワンは自信を取り戻すか?

サードシスターと大尋問官の死闘は実現するか? ヴェイダーはどの程度皇帝に報告するか?


スターウォーズ作品を制作する上で、オールドファンよりプリクエルファンの期待に応える方が遥かに難易度が高いです。オリジナルとシークエルは昔から伝わる典型的な大衆娯楽作品ですが、プリクエルは、政治、社会、哲学、宗教などの要素をふんだんに盛り込んだ設計です。

批判があったなりに、理解できた人は大衆向けより少ない。

つまり世間一般に呼ばれるスターウォーズとは、違います。


その事情が分からない人には、オビワンの正確な評論は無理な気がします。


ディズニーは大衆娯楽のスカイウォーカーサーガで大成功しました。

その後、プリクエルに体制転換する事は並大抵ではないように感じます。

それでプリクエルファンを喜ばせられたとしても、オールドファンから叩かれる訳で。

結局全てのファンを満足させるのは不可能なんです。


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