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注目

カイロレンのファーストオーダー統合化

スノークの死後、最高指導者に即位したカイロレンは指揮系統を再編します。 銀河全域における侵攻作戦は事実上、成功しましたが、今後長期的に体制を維持する必要があります。体制維持は侵攻作戦より莫大なコストが必要です。 しかしファーストオーダーは莫大なコストを有していませんでした。 元々、効率的な特殊作戦を目的とした低コストの軍事組織であり、帝国のような国家運営を想定していないのです。 各地で疲弊していく現状を把握したカイロレンは、全てのファーストオーダーを統合化していきます。実はカイロレンはファーストオーダーの真の実態を、スノークほど理解していなかった。 ファーストオーダーは帝国と構造が違い複雑です。 分散化した効率的な非中央集権体制などわからない。 すなわち弱い兵力で銀河を効率的に支配する事を迫られます。 統合化していく中、兵力物資の少なさに愕然とします。今後長期的な体制維持など無理だ。 スノークを葬る事でシステムを破綻させた事を後悔します。 かつての帝国を再現して、中央に君臨する皇帝にはなれない。プライド元帥は見抜いていた。 カイロレンはさらなる統合化を目指し、エクセゴルに誘われます。 シス・エターナルにとってはファイナルオーダーに移行する絶好の機会です。ファーストオーダーを救済しながら、主導権を奪う魂胆だ。 エクセゴルの艦隊を餌に、カイロレンを手玉に取る皇帝。 ファーストオーダーの疲弊はおいしい状況だった。体制維持を保障してやるのだ。 しかし物量で保障するのではない。多数の惑星破壊兵器を銀河全域の急所に展開させて、恐怖を最大化する。これにカイロレンは驚愕した。スターキラーより惑星破壊のハードルを大幅に低下させたのだ。 “銀河全域の星を少なくして効率化する” “少数の僕による完璧な銀河の統治” “惑星破壊の権限を1人で独占しない”

シン・ゴジラとローグワン。

本日、twitter会話に感化されて、今年初めての邦画、シン・ゴジラを観に行ってきました。
ネタバレ防止のため、詳細は控えますが、コチコチの官僚が主役の映画です。
かつて、半沢直樹というドラマがヒットしましたが、こちらも銀行や金融庁のお役所話です。
日本人は義務教育から徹底して個人の価値観を抑え、集団行動に徹する教育を受けてきた人種だから、官僚社会を映像化した作品に共感したと言えます。

このシンゴジラの製作過程は徹底したリアリズムを追求して、もし首都圏に巨大生物が出現したら、どう対応すべきか、どうあるべきかを関係省庁、機関に念密に取材したそうです。言い換えれば、エリート官僚が危機対応でどれだけ有能か美化する構成になっています。

一方の米国版ゴジラ(ローグワンの監督作品)は危機対応の舞台はあくまで現場の判断に委ねるべきだと訴えています。だから、軍人が主体の構成になっています。

どちらにせよ、危機対応時は迅速な意思決定、ゴーサインが重要であることに変わりはありません。誰が責任をとるのか議論がモタモタしていれば、事態は悪化するだけです。

明らかに早期解決のチャンスでスコープに標的を捉えているのにお偉さん方の判断を待っていたら、逃げられるか、反撃されてしまいます。

つまり、想定外なんだから、今までのルールに則って指揮していては解決のメドは経ちません。
日本人は既存のルールを重んじる人種なのかもしれません。しかし、現実的に強硬手段に訴えても、早期解決、事態の沈静化になると明らかなら、多少の犠牲はやむ負えません。犠牲の拡大を防げます。

既存のルールに官僚組織が縛られている限り、事態の収拾はつかないわけです。結局、そのトップである首相の判断を待っている価値など無しに等しい。所詮は首相も人間。神が判断するわけではありませんから。

さて、話を戻して、シンゴジラのセリフを聞いていると字幕を振ってくれれば、ありがたい印象を受けたのが正直な所です。つまり、各シーンの画より、セリフ回し、機械的なやり取りです。
普段、政治用語に慣れていない観客からすれば、いい刺激になっているのでしょう。

でも、スターウォーズのような洋画はスクリーンの画を最重視して、それを基にストーリーが構築、撮影します。コンセプトアートがいい例です。

ここが欧米人と日本人の違いです。欧米人からすれば、お役所のルール講習のような映画より、奇想天外の発想で観客に訴える方がいいだろ。という感じです。

そこで思うのは日本社会の縮図であるシンゴジラを欧米人が観たら、どのような感想を持つかということです。きっと危機対応のあり方について日本人に訴えたいことは数多くあると思います。


シンゴジラの欧米公開が楽しみです。そして、ローグワンの公開も勿論楽しみです。

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