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スケルトン・クルー 第三話 感想(ネタバレ注意)

新ドラマが始動!さすがビジュアルは美しく、脚本も素晴らしい。 スピード、テンポもよく、視聴者を銀河に旅させてくれる。 ⚪︎アト・アティン 裕福な金融都市だと思われます。 建物が頑丈で新共和国の金庫ではないか。保安上、座標が明かされない。 従って海賊のターゲットにされる。シュードロウも狙っている。 まさかそんな星が実在するとは思いもしなかった。 空港がなく、上空に船が飛んでいない。孤立しているのです。 アト・アティンの人々は、自分たちがどれ程裕福か自覚していない。 ウィムは旅行に行ったことがないのでしょうか?行けないのでしょうか?(自由奔放な所がハンソロみたいだ) お昼代にしては、子供に持たせるようなクレジットの額ではないです。 裕福な癖に家庭で宇宙船を所有していない。 親たちは自ら助けに行こうとしない、ドロイド任せ。 まさかハイパージャンプしていくとは思いもしなかった アト・アティンの存在を銀河に知られてはまずい為、捜索願を出せないのです。 困りました。 ⚪︎スキピオの教訓 戦時中、共和国は銀行を国有化しました。スキピオが攻撃下に置かれ、 共和国と分離主義の預金が危機的状況だったのです。 新共和国はこれを教訓に、金庫の場所を伏せる事にした。 それがアト・アティン

シン・ゴジラとローグワン。

本日、twitter会話に感化されて、今年初めての邦画、シン・ゴジラを観に行ってきました。
ネタバレ防止のため、詳細は控えますが、コチコチの官僚が主役の映画です。
かつて、半沢直樹というドラマがヒットしましたが、こちらも銀行や金融庁のお役所話です。
日本人は義務教育から徹底して個人の価値観を抑え、集団行動に徹する教育を受けてきた人種だから、官僚社会を映像化した作品に共感したと言えます。

このシンゴジラの製作過程は徹底したリアリズムを追求して、もし首都圏に巨大生物が出現したら、どう対応すべきか、どうあるべきかを関係省庁、機関に念密に取材したそうです。言い換えれば、エリート官僚が危機対応でどれだけ有能か美化する構成になっています。

一方の米国版ゴジラ(ローグワンの監督作品)は危機対応の舞台はあくまで現場の判断に委ねるべきだと訴えています。だから、軍人が主体の構成になっています。

どちらにせよ、危機対応時は迅速な意思決定、ゴーサインが重要であることに変わりはありません。誰が責任をとるのか議論がモタモタしていれば、事態は悪化するだけです。

明らかに早期解決のチャンスでスコープに標的を捉えているのにお偉さん方の判断を待っていたら、逃げられるか、反撃されてしまいます。

つまり、想定外なんだから、今までのルールに則って指揮していては解決のメドは経ちません。
日本人は既存のルールを重んじる人種なのかもしれません。しかし、現実的に強硬手段に訴えても、早期解決、事態の沈静化になると明らかなら、多少の犠牲はやむ負えません。犠牲の拡大を防げます。

既存のルールに官僚組織が縛られている限り、事態の収拾はつかないわけです。結局、そのトップである首相の判断を待っている価値など無しに等しい。所詮は首相も人間。神が判断するわけではありませんから。

さて、話を戻して、シンゴジラのセリフを聞いていると字幕を振ってくれれば、ありがたい印象を受けたのが正直な所です。つまり、各シーンの画より、セリフ回し、機械的なやり取りです。
普段、政治用語に慣れていない観客からすれば、いい刺激になっているのでしょう。

でも、スターウォーズのような洋画はスクリーンの画を最重視して、それを基にストーリーが構築、撮影します。コンセプトアートがいい例です。

ここが欧米人と日本人の違いです。欧米人からすれば、お役所のルール講習のような映画より、奇想天外の発想で観客に訴える方がいいだろ。という感じです。

そこで思うのは日本社会の縮図であるシンゴジラを欧米人が観たら、どのような感想を持つかということです。きっと危機対応のあり方について日本人に訴えたいことは数多くあると思います。


シンゴジラの欧米公開が楽しみです。そして、ローグワンの公開も勿論楽しみです。

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